日記

会社員の女

200525 トマトキムチチーズ焼き

細かな作業を抜け漏れなく進めるのも苦手だけど、ちょっとひやひやする打ち合わせが続くのもしんどい。

退勤したころには頭がだいぶ昂っていて、ご飯をせっせと作りながら地上に戻ってきたイメージ。会社から自宅への帰路でだいぶオフに近づけていたことを実感する。ロスタイムなくなった感。ぼやっとしていたら「散歩してきな」と、知り合いに言われたことを思い出す。

 

夜ご飯、誰かがラジオでいっていた「トマトキムチチーズ焼き」を作る。おつまみって感じだけど、味付け不要なので楽すぎる。あとはキャベツとピーマンとツナのサラダ。そして冷凍グラタン。楽なことしかしてない。

 

夜は友人と電話。お茶でも飲もうとかいって。みんな人生の岐路にいる。LINEのビデオ通話。

200524 晴れた日曜日

よく晴れて、朝から洗濯。調子に乗ってシーツも洗い、布団には乾燥機をかけた。

洗濯機をかけている間にうたた寝。アラームをかけずに昼寝をすると悪夢を見るか金縛りにあうかしてしまうのだけど、今日はあと少しで金縛りが始まるくらいのところで起きられた感じ。寝起きの後味は良くない。

 

昨日のニュースを受け、「恋愛リアリティーショー」について考える。いまは『ザ・ジレンマ』を見ているけれど、こうやって消費すること、ショーとして楽しむ分には、アリなのかナシなのか。その行動に対してあぁだこうだ思うこと、心は自由だとしても、本来いいのかどうかさえわからなくなってしまった。あくまで「切り取られたもの」としてみたい。

 

昨日読み終えた少年アヤさんの『ぼくの宝ばこ』についてツイート。アヤさんにリツイートしていただいて、こそばゆい気持ちがする。

わたしは雨宮まみさんが大好きなんだけど、まみさんの文章には幸せと面白さの相関関係みたいなことを考えてしまうものがいくつかあって。そんなことを思っているからこそ、アヤさんがどんなに辛くて情けなくても生きて、そして幸せになっても書き続けてくれることが本当にうれしい。その場限りのパッと咲いて散るような面白さも素敵だけど、個人の軸にやってしまう快楽的な面白さなんて曖昧なものは一旦置いて、これからも一緒の時代に生きていきたい。

アヤさんはどこかセーラームーン。本当に思う。ありがとうございます。こんなに優しいひとが背負いすぎないように、矢面に立っているからといって誰かにしわ寄せがいかないように。わたしもきちんと声をあげ、あげられなくても気を持っていきたい。

 

自分の過去を許し、そしてきちんと批判や批評の目を向けること。自己否定のようで難しいけど、めちゃくちゃ大切だと思うんだ。

 

そんなことを、ゆるっと思いながら、明日緊急事態宣言が解除されるというニュースをみる。正直しんどい。実質あの日々に戻る怖さと、絶対に戻らない価値観がある。

これで第2波、第3波が来たとして、正直気の緩みみたいな市民のせいにするような言葉、使いたくない。自虐では言ってしまうけど。わたしは緩んでいる、ってね。正直、わたしたちはよくやってる。やってるんだ。

情報の不均等さ、行き届かない場所はあると思うので、知らないこと、やってしまったこと、そして個別の事情を晒し上げるようなことはしたくない。加担しない。そう思って寝る。

200523 日常は続かない

東京は先週の日曜の晴れを最後に5日間雨が降っていた。久々の晴れ。行きつけの居酒屋さんが軒先でお酒を売っているらしいので、買いに行く。公園で飲む。

休日昼間の公園、遊んでいる子どもの横でビールを飲む大人。話しかけられて、「親御さん、こんな大人ですみません」と思いながら、ちびっこと話したりする。

 

家に帰りつき、うつらうつらとしてみたり、映画を見たりする。何度目かの『勝手にふるえてろ』。なんでこんなに好きかというと、多分似ているからだと思う。たくさん考え、考えすぎて何も行動できないヨシカ。突拍子もない(けれど自分の中では段階がきちんとある)行動をするヨシカ。他人にとって些細なことをぐるぐると悩み続けるヨシカ。肥大していく妄想とヨシカのなかのストーリー。頭でっかちになって、自分で自分をがんじがらめにしているヨシカに、ニが一般的な「まともさ」で向き合うその瞬間が大好き。ハッとする。あぁそうじゃんね、わたし何と戦ってるんだ。

 

勝手に震えているのはわたしなんだけど。最後の2人がとにかくめちゃくちゃかっこいい。

 

そんなことは置いておき。

 

日常は当たり前に生きていることを前提としているし、ひとつの出来事でガラリと見え方が変わったりする。当たり前に笑っているわけじゃない。笑えるわけじゃない。

 

それだけを思って。5月。

200521 筋トレと占い

同居人とYouTubeを見て筋トレをするようになった。突然だけど、わたしにとって筋トレといえば石井ゆかりさんである。

 

占星術師である石井さんのサイトの名前は、なぜか「筋トレ」。

よくよく見ていくと、「今日の占い」「週報」「月報」「年報」、さらに毎年の占い本に、有料サイトでの執筆……などなど、多様な占いコンテンツを出していて、さながら細かなものから大胆な動きまでを日々反復練習しているような…まさに「筋トレ」! といいたくなる、丁寧で詳細なコンテンツ群が揃っている。

 

昨日か一昨日か、その前か、石井さんがTwitterのアカウントを閉じた。

毎朝タイムラインに流れてくる今日の占いを見るのは数少ないルーティンの一つになっていた気がする。LINEアカウントを友達登録して、そちらで見ているから、今もまだまだ見れるんだけど。

「今日の占い」の内容はまさに「星を読む」というイメージで、占星術、占いという統計学の世界を、石井さんのならではの自由で美しい解釈で見せてくれる。実名アカウントの殺伐としたTLに流れくる小さな宝石みたいだった。

 

そういえば、占い、めっちゃ見る。

 

日々忙殺されながらも、週のうちに決まってやることといったら、日々石井ゆかりさんの「今日の占い」を見て、月曜の正午に「しいたけ占い」を見て、火曜の深夜か水曜に雑誌『an・an』の占いをコンビニで読むことだった。

 

この3つ、同じく星座占いなのに毛色が全く違って面白い。

石井ゆかりさんのものは伸びやかな解釈や星への愛を楽しむとしたら、しいたけ占いは(そもそも占星術じゃないので)心強くなる言葉を受けにいく感じ。an・anの占いは、ゴリゴリ占星術みたいなイメージで、なんか当たる気がする。言葉のイメージが強くて伝わる。

 

そういえば、会社に行かない=帰り道という概念の喪失なので、an・anはめっきり手に取らなくなったし、存在を忘れていたことに気づいた。

 

思い出したら読みたくなる占い。

 

一時期は本当に占いを読むのが楽しすぎる謎の会社員だった。不確かすぎて、疲れすぎて、誰かに励ましてもらったり、今週は大丈夫だよって思いたかった気がする。あと、起こりようのない刺激的なことに期待してみたり。

 

いまはなんだか、言葉は楽しめるけど占いに真剣になれないな。この心情、新型コロナをめぐるさまざまで変わったことの一つかもしれない。

 

明日はひょんなことでZoomの画面収録をせねば。不安が残る。

200520 現状に満足なんか

考えることが多い。

 

昨日は電話をしながら眠くなってしまった。高校生のように4時間くだらなく話して、寝て起きた。

 

昨日ぼやぼやと仕事をしてしまったので、今日はある程度テキパキしないと厳しい。とりあえず目に見えているタスクを進めていくけれど、正直、メールだのSlackだのLINEだの、急遽の依頼やコミュニケーションで占められている仕事、緊急重要・不急重要・不要緊急・不要不急みたいな四象現を思い出す。誰かの手を止めぬようにする仕事も、また仕事である。

 

お昼を食べるのも忘れて仕事をしていたので、退勤する頃には空腹で胃が痛い気もしていた。夜ご飯にチーズタッカルビを流し込む。

 

明日は朝から重めの打ち合わせがあるので、心はなんだか晴れない。友人とビデオ通話をして、転職相談のようになった。

時折波が来る。揺り戻れなければ流されろと思っている。

 

仕事は好き。でもそれだけだ。

 

思うことが少なくなれば、書くことも少ないな。

200519 本棚に本がある人

相変わらずの外出自粛期間。全社でリモートワーク中なので、会議もビデオ会議アプリを使用して行なっている。

 

本日もいくつか打ち合わせが入っていて、うち一つ、定刻になってURLをクリックすると、部署の先輩が一人待機していた。

 

私の部屋は4面の壁の1面に扉(ふすま)があり、もう1面にはベッド、もう1面はベランダに続くガラス戸、そして最後の面には本棚があるという作りなので、同居人が間違えて開けてもいいように、洗濯物が干してあってもいいように、そしてベッドに座るのもいかがなものかと思って、本棚の面が背景になるようにビデオ会議に出席している。

 

あまり本棚を見られるのが好きなわけではないが、かと言って絶対に見せたくない主義でもないので、ここが一番マシかって思ってそうしている。ビデオ会議で何か言われるわけでもないし。

 

冒頭の会議が始まる前、先輩と2人の時間のこと。

「本棚に本がいっぱいあると、なんか頭よく見えるよね。わたし全然読まないからさあ」

と、沈黙をやぶろうとしたその先輩がいった。

 

この先輩は悪気なく「なんか失礼」なことを言ってくるのだけど、やっぱりなんか失礼だな〜と実感する。頭よくありたくて本を読んでいるわけではないですよ、と思いつつ、「そうですか、あはは」と、流して終わった。

 

あなたが推しのライブに行くように、

あるいは、朝歯を磨いて顔を洗うように。

この世界には本を読む人もいるんだよ。

なんてことを思う。もちろん読まないからといって知力がないことの証左にはならないし、この「すごいね(わたしはしないけど)」みたいなのって、結局自分を卑下しているようで、受け手を見下しているような感じがするのはわたしだけだろうか。

 

なんてことを思っていたら会議がスタートする。べつにそんなもやもやは仕事には関係ないことだ。わたしとあなたの関係にはかなり水をさすような言葉だけど、わたしとあなたの関係はそもそもこの仕事にそこまで影響ないからね。とかなんとか思っていたら、会議が終わっていた。ちーん。

 

あいも変わらず雨。寒いし、鬱憤がたまったのでカラオケに行きたくなる。行けないし行かないけど。

 

早めにご飯を食べる。今日も今日とて、すごくすごく疲れたんだけど、わたしだけだろうか。

 

多分大きな大きなストレスがあって、気づいているけどいまはちょっと何もできない分、小さなことにあらがいたいのかもしれない。

 

同居人が隣の部屋で都市伝説の動画見ている。わたしもみようかな。信じることに意味のないようなほんとみたいな嘘の話とか底抜けに明るくなるストーリーが欲しいや。

200518 低気圧、輪郭消える

なんだか久々に仕事が無の土日を過ごしたので、月曜日の精神はぐだぐだであった。ワーカホリック気味の身体は、こういう幸せで調子が崩れる。日々ストレスをかけて麻痺しているだけなんだろうか。

 

もう漏れそう…みたいな雲が、夕方になってざっと雨を降らす。一度止んだと思ったら、夜中ウェザーニュースのアプリから「傘が必要な雨が降る」と通知がきて、いまもザァザァと降っている。

 

在宅とか関係なく、疲れちゃった1日。

 

何度辞めてやろうと思ってもとりあえず頑張って明日になる職場。嫌いじゃないんだけど、月曜日の憂鬱に気圧配置も相まって、もう半ベソで仕事していた。しんどかった。

 

YUKIの「スタンドアップ!シスター」が好きで、大学受験に向けて備えていた頃は夜中、勉強をしているような顔で自室に籠り、よなよなベッドの上から机の上を跳ねていた。

今でも自分を奮い立たせてくれる…ていうか心を踊り出させてくれる大事な曲。そんなスタンドアップシスターには「笑えないのは 雨のせいじゃないわ」って歌詞があって、受験から数年して初めてYUKIのコンサートに行ったとき、「天気ひとつで心がままならなくなっていた時代がありました」って語ってくれたことに、「わたしいまそれです〜」と泣いたのを思い出す。

 

そこから数年また経って、まだまだ天気ひとつでどうにでもなってしまう自分の気持ちに自信がなくなる。

 

低気圧のせい。

 

あの頃憧れていた場所にいまいても、もうどうしても辛くて逃げちゃいたくなる。

 

きりのいいところで仕事を終え、本を読んでも上がらないので、『勝手にふるえてろ』の最後のところだけみる。ラストシーンのニとヨシカの痴話喧嘩が最高で最高。

ニが一瞬叫ぶシーンがあるんだけど、めちゃくちゃニでしかない渡辺大知が、その一瞬だけ渡辺大知にしか見えなくなる。発声が良すぎる。黒猫チェルシー…ってなってしまう。

 

低気圧は本当に自分の体の輪郭がなくなって空気に溶けていく感覚だったけど、実際そうらしい。だるだるになっちゃうらしい。お風呂に入ると外圧がかかって楽になるらしい。明日の昼間はカフェインとって輪郭を自分に戻していきたい、でも雨だ、コンビニ行くのも憂鬱。

 

あー、ダメだ上がらない。そんな日もある。