日記

会社員の女

200527 引き受けるもの

人はたくさんのグラデーションのなかにあるし、それぞれ違うことにやっぱり驚く。和解どころか、対話さえできないと思う人もいるんだけど、だからこそ、自分の中に生まれた思想も信条も大切にしたっていいし、変わっていったっていいじゃないか。とか思うけどね。大人を引き受けるのも悪いことばかりじゃない。愛。

 

大人になったって、繊細に何かを感じたり、燃え上がるような恋愛をしたり、朝まで遊んだり、おいしいものをおいしくたべたり、ごっこ遊びみたいに楽しんだり、できるよ。他人に気を遣いながら、それでも非常に楽しく生きていける。他人を尊重しながら自分を尊重することだって可能だと、爆烈な感情を持て余していた思春期のわたしに伝えたい。何かをきっかけに自分の心を傷つけすぎることがあるけど、大丈夫なんだぜ、そんなことしなくても。しちゃうけどな。

 

いい大人であるはずの故郷の父は右傾化しています。ときどき会話にならないその人とどう向き合うべきかは、すごくすごく考えるところ。でも昔と違い、経済的に自立したことで、無理に敬うことをしなくてもいいかなと思っている(経済的に自立したことがわたしの場合きっかけになっただけで、してなかろうと敬わなくたっていい。何を信じて尊敬するかなんて自分次第、心は自由だ)。いままでの感謝と、その人自身への思いは別で、共存したっていい。

 

ところで、本日は百人一首の日だと聞いた。

わたしが大学で日本文学研究の道を選ぶに至ったきっかけの作品はさまざまあって、その一つが百人一首だったなぁ。その一首一首を眺めるだけでも、いきいきと文字が踊っているよう。情景が浮かぶ。もうすぐ「春過ぎて」の季節になります。『ちはやふる』も好き。もしかして上京前から連載が続いてるんじゃなかろうか。

万葉集のような世界から現代短歌に至るまで、31文字の世界には深く深く魅了されている。

 

わたしは短歌を詠んだことはないのだけど、当意即妙の逸話がある小式部ちゃんや清少納言の伸びやかな筆致に憧れていたりする。